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私たちが古墳を見られるのも、破壊を阻止した先人たち、そして関係者や地域住民の方々が今でも見守っておられるおかげなのですね。感謝!
どれくらいの古墳や遺跡が壊され、残っているのがどのくらいなんですかね? 今まで残ってきたことが当たり前ではなくて、とても幸運なのかもしれませんね。
すごく面白い。姫路城で古墳の石棺が石垣に使われててビックリしたけど、昔からあったことだったんだなぁ。
戦国時代の城はどこでも近くの寺の墓石は城の石垣に使われてる。人でも人柱として埋めてる。今でも守り手のない墓石は砕かれて道路の骨材に使われてる。坊主の寺の経営の為だとしてでもある。
古墳だけでなく、古い建物を壊すのは止まらないですね。本当に残念で仕方ない。新しいものはいつでも作れる。歴史は戻せない。
鳥瞰図でとてもわかりやすかったです。勉強になりました。本当そうですよね…惜しいことです、高度成長期と戦国時代の城の石取り、中世の墓泥棒が主なんじゃないかなあと思います。松永久秀の頃も、ガンガン潰してて、日葉酢媛の御陵を潰そうとしたら、配下が地元民に訊いてきて「古代の皇后の墓だそうです」さすがにちょっとヤバいと思ったらしく、破壊をやめた、なんて伝承もあります。発掘の方によると、椿井大塚山古墳も、工事の時にすごい数の鏡が出てきましたが、文化財保護の概念がなく、工事の人がみんなで記念に持って帰ってしまい、あとで警察が回収に回ったそうです。33面は回収できた数で、本当はもっとあったそうです。古物商に流れたらわかんないんですよね。母は桜井育ちですが、あちこちに群集墳があったのを覚えているそうで、直刀も見たそうです。家がどんどん建つときにあっと言う間に壊されて行ったそうです。今でも、京都市内の碁盤の目も、もはや地層になって遺物が出るので、ビルの建て替えとかで何か出て来たら調査で工事が遅れるからと重機でガンガン壊すようで、情けない限りです。失われたら二度と戻らないだけに、本当胃が痛くなりますよね…。
いつもご視聴ありがとうございます。昔を知らずに訪ねると、よく保存されていると思ってしまいますが、桜井市でも破壊された古墳があるのですね。勉強になりました。
工事のときに出てきた場合、業者らへの補填ってどうなってるんだろうか…
@@matukawatositane 基本的には、遺跡のある場所は遺跡地図という形で閲覧可能な状態になっていますので、開発事業者は、事前に確認しているはずです。このため、必要であれば工事着手前までに発掘調査が完了している事が一般的です。ただ、まれに工事中に出てきてしまうことはあると思います。事業者が行政の場合は、加茂岩倉遺跡のように工事を中断して調査を行うこともあると思いますが、費用は公費で賄われると思いますので、工事を請け負った業者への補填はないのではないでしょうか。工期が変更になることによる作業日程の見直しをどこまで補償しているのかはわかりません。民間の事業者の場合は、工期の遅れ、費用負担の増加の両方がのしかかってくるので、そのまま工事をしてしまう事もあるのではないでしょうか。その場合は勿論補償はないでしょうね。
@@koukogaku 土建屋からすると生きてかなきゃならない辛さがありそうですね
@@matukawatositane 頻繁にあれば大変ですが、基本的には工事が始まってから遺跡にあたってしまうことは、ほとんどないのではないでしょうか。予め開発業者(土建屋ではなく、開発主体、例えば鉄道会社・不動産業者等)が文化財保護部局に開発場所が遺跡のあるところかどうかを照会し、遺跡がある場所であれば、行政側でその場所に本当に遺跡が出てくるかどうかを試掘して確認します。本当に出てくれば発掘調査を行い、調査終了後に工事という段取りですが、原則工事着手の60日前までに届け出なければならいなので、やろうと思ったらストップがかかるという事は少ないと思います。土建屋さんというのは、この工事の時に関わってくる人達という事ですよね? 費用負担は開発業者が負担しますので、土建屋さんが負担することはないと思います。土建屋さん自らが開発業者であれば別ですが。
馬見丘陵の地元民ですが、ナガレ山が保全された一方で、公園を二つに分ける道路がある帆立貝型古墳を真っ二つに割ってしまってるんですよね古墳があった部分の道路には緑の塗装がされ、古墳自体が完全に破壊されたわけじゃなく残った前方と後円の間は橋がかけられています割と重要な道路の造成だったので、そこに行くとせめてもの弔いが感じられて不思議な感じがします
ご教示ありがとうございます。ナガレ山古墳のように復元され古墳もあれば、同じ馬見古墳群の中でもそうした古墳があるのですね。
@@koukogaku僕も同じく馬見丘陵の地元民です。あの地域は普通の児童公園の中に小さな古墳があったりするような地域なのでそういうのはよくあります。普通に遊んでる丘が古墳で調査のために立入禁止とかありました。宅地開発されましたが、未開発の雑木林も残ってるので、まだ見つかってない古墳も沢山あると思いますよ。
こんなにたくさんの古墳が壊されていたのも驚きですが、それ以上に日本全国にこんなにもたくさんの古墳が造られていたということも驚きです。大王や王族はもちろん地方豪族やその身内(さらにはその下の小豪族やその身内)まで1人死ぬ(というか生まれる)度に1つ古墳を造っていてそれが何百年にも渡って続けられていたから、ということか。世はまさに大古墳時代。。
まさに古墳時代という名前にふさわしいですね。横穴式石室は、追葬が可能ですので、何体か合葬されているようです。それにしても凄い数ですね。
@@koukogaku 返信ありがとうございます。現在残っている古墳が約16万基もあるのですか。仮に半分壊されて半分残っているとしたら造られた古墳は約30万基、300年続いたとして1年あたり1000基造られたということでになりますね。そして毎年1000人の高い地位の人が亡くなってることになりますね。クニの王の古墳だけ造られたわけではなく、妃、子供2人の古墳も造られたとしたら当時日本には250のクニがあったことになりますね。さらに当時の日本の人口が500万人だったとしたら、平均して1つのクニの人口は2万人ぐらいでしょうか。あ、でもこれだと毎年王族の人が亡くなることになるのでおかしいかな。。
@@鵯-q3x多分古墳の90%以上、あるいはそれ以上が古墳時代後期、6世紀以降に作られたんじゃないでしょうか。クニの王だけではなく、もう少し下のクラスの人物まで作る時代だったのではないですかね? でもこうして色々と考えるのは、何か楽しそうですね(笑)。
破壊されたという規模ではないのでしょうが、大仙陵古墳も室町時代末期には三好氏による築城(国見城)が行われ、その後は神社も建てられていたそうなので、少なからず改変を受けているでしょうね。
ご教示ありがとうございます。そうなんですね。勉強になりました。
破壊というより移設や再利用という言葉の方が合う場所も多いですね
コメントありがとうございます。移設した古墳も多いのですかね? もしよろしければご教示ください。
卑弥呼の古墳も戦乱期に築城のために壊されて現存してないのかもね。
近所の歴史を調べるのが好きで、調査記録を読んでいたら、石棺群を含めると100基近くあったものが今では片手で数えられる程に激減していてショックでした。残されたもので、とても美しい内部構造を持つものがあるので、将来、個人的に保護していくのが夢です。
素晴らしいお考えですね。でも個人で守るという事は並大抵ではないと思いますので、仲間を増やしてみんなでやっていかれたらどうでしょうか。行政も巻き込んで地域で守っていけるようになるといいですね。
最初の協会名に全部持って行かれたwそれは置いておいて、子供の頃北関東の古墳巡りをしていたのですが、今思えば、残っている古墳はどれも、頂上に小さなお社が建ってました。お社が建つと、人が手出ししなくて残り易かったのかもしれないですね。
そうですね。神社になったことで、結果的に守られていることはあるでしょうね。
今は公園だけど昔は近鉄グループの玉手山遊園地🎠🎡🎢だった大阪の玉手山第7古墳とか円山古墳とか散歩するのに良い場所ですね。
情報ありがとうございます。そうなんですね。大阪のような大都市で開発と遺跡の保存とを両立させるのは本当に難しかったでしょうね。せめていま残されている古墳や遺跡が将来に伝えられていくといいですね。
とても勉強になります、ありがとうございます。しかし、市庭古墳はコナベ古墳のような立派な古墳だったのですね。森浩一先生の本で読みましたが、飛鳥から平安の古代にも宮殿や寺院の築造で古墳が破壊されたケースは多かったらしいですが、それでもこんなに残っていますもんね。古墳は日本特有の墓なので、現代の宅地開発などの被害を受けることなく、大切にされるべきです。
ご視聴ありがとうございます。市庭古墳の話はあまり知られていないという事ですかね? 結構有名な話だと思っていました。大和は本当に凄いですね。いつ行っても感動します。都が京都に移ったことが、都市化の進行を止め、それが結果的に文化財の保存にはプラスに働いたんでしょうか? 今までの幾多の苦難を乗り越えて残ってきたものだと思いますので、古墳に限らず、重要な遺跡は、整備までとは言わなくても、できる限り後世に残していってほしいですね。残っていさえすれば、将来条件が整えば整備される可能性もありますので。
参考になりました。最後の古墳は、地元なので、見守って行きたいです
高尾山古墳の地元なんですね? 本当に良かったですね。高尾山古墳が保存されたことは、奇跡的だと思います。保存に至るまでに、キーパーソンがいると思うのですが、そこまでやる時間がなく、中途半端に出してしまいました。何かご存じならまたご教示ください。
@@koukogaku さん学の無い私は、何の知識も有りません。凄い方のお墓らしいですね。子供の頃から好きで、あちらこちら自転車で走り回っていただけです。
最近動画を見始めて寝る前に見てます!昔から歴史が好きで、大学では日本史を専攻していました。一番好きな時代が古代史です。(専攻は近現代でしたが)リクエストですが、東北や南九州などのヤマトから見て辺境の民が住んでいた地方の古墳を見てみたいです!また記紀に出てくる奈良県南部に興味深い古墳はありますか?もしあればいつか紹介して欲しいです。
ご視聴ありがとうございます。東北や九州もできれば行ってみたいですが、遠くてなかなか行けないですね。室宮山古墳などはどうですか?
近所(尾張平野)には寺の中に、寺の庭園の一部となって、庭の小山のようになっている古墳があります。庭を見に行って、初めて古墳があると知りました。市指定文化財として保存されてます。尾張では平野のせいか、神社や寺に取り込まれている例が多いです。山がちな地域だと破壊されがちでしょうね。
古墳の上に神社がのっているのはたまに見かけますが、そんな形で残っているなんて、珍しいですね。どんな形でもいいので、残っていくといいですね。
紹介いただきありがとうございます。もっとよく知っていつか古墳を訪れたいです。
3:49 豊橋市民ですが、この古墳の存在と、吉田城の石材のエピソードを初めて知りました……。
あくまでも伝承で、吉田城の石垣に使われたことが確認されたわけではないようです。
豊橋市民でございます。郵便局員として走り回っていたところです。馬越長火塚古墳は知っていましたが、この古墳は知りませんでした。このあたりは古墳がめちゃ多く、北西側が開けた小山があり、古代の人は城、烽火場所としても活用していたようです。ああ、懐かしい、いつも時間をあせっていた記憶があります。いま67才、乃木坂46大好きGGでございます。
空から見れば墓なんだろうけど地面から見ればただの丘だからな
邪馬台国の痕跡も破壊されて残ってないのかもね
古墳の土てもともと盛土したものだから建築的には良質の土なんだろうね
最近、明石市で道路新設工事による発掘調査で古墳周溝2基が発見されました。発掘現場は江戸時代に新田開発がされた地域。その時に古墳と分かって破壊されてしまったのか、分からず破壊してしまったのかは分かりませんが、今後は道路建設で埋め戻されてしまうようですが、また新しい情報が出てくることに期待したい。
情報ありがとうございます。新田開発に伴う破壊だったんですかね? また参考にさせていただきます。
佐賀の吉野ヶ里遺跡の北側に高速道路(東脊振~佐賀大和)を作ってる途中で古墳の跡や大量の銅鏡なんかが出土してたんだけど知らん顔して埋め戻してから道路作れという上からの命令でしかたなく道路ひいたと・・・完成後数年後に工事の孫請けで作業員してた親戚の方々や同級生のオヤジさんたちから聞いたよ円墳と前方後円墳が合計7つくらいあったのを壊して埋めたらしい
えええ…7つも。。すごく残念な話ですね。そういう古墳破壊はなんだかせつなくなります
大阪の高槻に昼神車塚古墳が有るけど古墳を道路がトンネルで貫いてるみたいですね。(´・ω・`)
ご教示ありがとうございます。こういう例もあるんですね!
とても面白かったです。チャンネル登録させていただきます。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
小学校の時、いたすけ古墳は、よく遊びに行きましたがいたすけ古墳は、おたすけ古墳だったのですね!
明治~昭和初期にかけては建設工事の材料として「そのへんにあるちょうどいい小山」として土取りで削られて消滅した古墳はたくさんありますね。阪急神戸線が福知山線を乗り越えてる築堤もそうやって近所の古墳を全部削って土取りしてできているのは有名ですね。
返信が遅くなり申し訳ありません。そうなんですね。知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。
無知で申し訳ないが、古墳まわりにどうやって水を引いたんだろう。理由も知りたい
私も絶対の自信はありませんが、前期の前方後円墳や終末期の群集墳のように、山上や山麓に作られる古墳は周濠があっても水はないですが、沖積地に作られた古墳は、盛土を確保することと、区画をするのに、周濠を掘ってかき集めるのが手っ取り早かったのではないでしょうか。掘削面よりも地下水位が高ければ、自然に水が湧いてきたのではないかと思います。
@@koukogaku 今更ですが返信ありがとうございます!
地元では道路沿いに古墳があってドライブしてたら気付かない。すぐ隣に田んぼと民家が有るからだと思う。
縄文時代の遺骸とかは、博物館で埋葬方法や埋葬品について展示されているが、保存、整備、公開された古墳等に埋葬された遺骸は、どこにいく?いる?のだろうか?埋葬品とかは、目に見ることができるが、中々遺骸ついて知る機会がない。たまに、出版物の調査書?の発掘の写真で極僅かに写ってる時があるが白黒で詳細に見ることができず、主の被写体として遺骸か写された物がない。もし、ご存知でしたら、遺骸の状態と発見後の処遇(保存なのか破棄。破棄なら処分方法も)を教えてください!
古墳人骨はそもそも出土事例が少なくて、私も報告書での掲載については知りませんが、縄文人骨は出土例も多く、発掘調査報告書に、出土状況も人骨の写真も結構掲載されていると思いますよ。また、発掘後は必ず温湿度管理された収蔵庫で保管しているはずです。廃棄などは絶対にしていないと思います。
@@koukogaku ありがとうございます!長年の悩み事が消えました。私の住む河岸段丘には、古墳が南北に群を成して遺っていて遺構はあっても、埋葬者のことが分からず、郷土資料だけ見てました。しっかりと発掘調査報告書とも見比べていきたいです!遺骸が遺って保管されてる可能性を胸に連絡してみようかなと、思います!ありがとうございました!これからも、宜しくお願いします
@@WH8506N こちらこそよろしくお願いします。何かわかるといいですね。
高松塚古墳は壁画保存のため石室を解体し復元整備していますが墳丘の近くに祠のようなものを作ってその中に遺骨を納めているそうです後は発掘を担当した研究所や所属する博物館の収蔵庫にあると思います遺骨の展示はされないですね
エジプトのピラミッドも破壊されていますよね。(破壊されたので有名なのがアブ・ロアシュにあるジェドエフラーのピラミッド)王墓を暴いて破壊するのはどこの国でも同じって事なんでしょうね。
ピラミッドなどは、破壊というよりも、基本お宝目当の盗掘だと思っていましたが、ジェドエフラーのピラミッドはローマ軍によって破壊されたんですね。ありがとうございます。勉強になりました。
@@koukogaku 古代エジプトのマスタバ墳墓やピラミッド、王家の谷はいずれも完成直後に盗掘された可能性が高いそうです。ジェドエフラーのピラミッドも恐らく完成直後(遅くとも完成から数十年以内)には盗掘されていたでしょう。破壊したのはローマ軍でしょうが、破壊した時には既にもぬけの殻だったと思われます。日本の古墳も古代エジプトの王墓のように盗掘されているのか気になる所ですね。
いいね!歴史ロマン
過去をとるか現在をとるかの問題。でも、よくよく考えると現在の人間は入植してきたモノだしね。
古墳にコーフン協会!覚えやすい名前だ
気になってる古墳群があります。和歌山にある岩橋千塚古墳群というところですが、私の母方の先祖が和歌山市辺の地主の家系だったらしく昔からあの辺りにいたみたいで、私の高祖父もそこで若い頃に住んでいたみたいです。もしかしたらあの古墳には遠い先祖が埋葬されてるんじゃないかという話があって気になって調べても紀氏の墓ではないかとの情報しかなく詳しいことがこちらではわからないです。
残念ながら、古墳の被葬者が明らかなのは、ほんのごく一握りですので、仕方ないですね。
近所でもありますが、ただの家になったと云う、酷いです。わたしも古墳大好きです。わたしは、宮地嶽神社奥之院の古墳が大好きで、デジャヴすら感じました。どうやら、こだわりが強い人が、居たのでしょうか?古墳は大事ですよ!
近鉄大阪線の柏原市あたりにある、線路下にある古墳?は知らなかったことで工事したのかな🤔
柏原出身やけど初耳ですね。どの辺ですか?
同じく柏原出身ですが初耳です。どこなんだろ?気になる……
現在では古墳や遺跡の調査時期が「建設工事開始後」であるのが問題。むしろ、「発掘調査を終え、その遺跡の価値や活用方法を考慮しながら、都市計画の素案をまとめるようにする」のが良い。もちろん「行政の意識改革」を促すことで、古墳や遺跡という歴史的資源という「今、そこにある宝」の価値に理解を示し、古墳や遺跡のための「予算の捻出」に積極的になるよう促すことが大事。高度経済成長期型の都市計画など早々に終了させ、地域の歴史的価値を活かす都市計画「仮称:温故知新型都市計画」を推進するべき
返信が遅くなり申し訳ありません。少し誤解があるようです。発掘調査は、原則工事開始前に終了するように、事前に手続き・調整が行われています。特に高速道路等のような大規模な開発などは、かなり前から開発側と文化財側とで調整が行われています。民間の開発についても基本的には同じですので、原則的には工事着工前までに発掘調査は終わっているはずです。ただし、開発側が計画を事前に相談しない、もしくは直前に相談する場合や、意図的に相談しないという場合、調査体制に対して対応しきれないほどの開発案件がある場合、また発掘調査で予想以上に大量の遺構や遺物が見つかった場合などはその限りではありません。以前に比べてコンプライアンスが厳しくなってきていますので、全くないとは言いませんが、文化財を無視して工事を強行するといったことは出来にくくなってきていると思います。ただ、おっしゃられるような、地域の歴史的価値を活かす都市計画「仮称:温故知新型都市計画」については、是非推進してほしいと思いますね。今後ともよろしくお願いいたします。
@@koukogaku 詳細なご説明、ありがとうございます。拝読し改めて思いますが、現状は私が求める「主体的で積極的な遺跡調査&保存活動」からは明らかに程遠いと感じました。私の提案は、勿論「保存すれば良い」等という単細胞的な話では無く、個々の遺跡の価値は当然のように吟味する必要がありますし、また、私の提案を実行に移すには、行政側などからの予算拡大が求められる内容ですが、価値ある遺跡を最大限活用するきっかけを作るには良い方法ではないかと自負しています。
@@koukogaku ご説明ありがとうございます。誤解があるようですが、改めて説明すると、私の主張は「都市計画の素案を作成する前(土地活用方法を決定する前)に、簡易的事前調査を行う」です。この簡易的事前調査には「トレンチ調査」や「水道管工事などの隙間活用」などです。土地は全国均一ではなく、土地によっては「・・氏の発祥地」や「・・天皇宮伝承地」など「遺跡が埋まっている可能性が高い場所」があれば、逆に遺跡が埋まっている可能性が低い地域もあります。そこで、「遺跡が埋まっている可能性が高い場所」を中心に、都市計画素案を作成する前や土地活用方法を決める前に、トレンチ調査など簡易的事前調査を行い、その事前調査の結果を踏まえたうえで、発見された場合は本格的な調査を行い、その発見された遺跡の価値に基づき、(新たに史跡公園を追加するなどした)都市計画の素案をまとめたり、土地活用法を検討したほうが良い…と主張しています。また「仁徳天皇高津宮伝承地」などは、周辺で水道工事などが行われるついでに、調査してしまうことも挙げられます。これについては京都市の例が参考になるでしょう。もちろん、様々な課題がありますが、より主体的で積極的な遺跡調査や保存活動が求められていると考えています。
@@hideanazawa2155 おっしゃる通りですね。現在の体制は決して理想の体制ではなく、昭和30年代の開発優先の風潮の中で、それに待ったをかけるために編み出された対処療法的なものが原型となっており、それは発掘調査をやらずに破壊されるよりはマシといったものだったと思います。とは言え、そうした風潮に逆らって、この体制を作った方々の努力もまた敬意を払うべきものだと思います。当時と比べれば意識の上でも随分変わってきたとはいえ、実際にそうした方向に向かっていくには、行政の予算はもちろんですが、やはり国民の意識・理解・後押しが必要不可欠だと感じます。現在行政で努力されておられる皆さんや、hedeanazawa様のような意識をもつ人々が少しでも増えて、主体的で積極的な遺跡調査&保存活動に少しでも近づけるといいですね。
最後に出てきた纏向・大和シーンは高度経済成長期に国道(旧県道)のバイパス工事で壊された天神山古墳が映っていましたね地元の信仰する神社があり石室のある円墳の方を破壊したため工事関係者は一人残らず祟られたといいます(地元伝)
返信が遅れて申し訳ありません。ご教示ありがとうございます。あれだけの副葬品が埋納されていた古墳なのに、どこか知らずにおりまして、恥ずかしながら場所を初めて知りました。前は何度も通っているんですが。今度奈良に行った時に寄ってみます。ありがとうございました。
福岡市出身ですが、江戸時代の初めに播磨の大名、黒田長政(官兵衛の息子)が福岡入りして城を築く際にも、福岡平野の古墳を破壊して石垣の材料にしたと聞いたことがあります。
そうなんですね。ご教示ありがとうございます。
近現代では、明治政府の国家神道がした事です
高尾山古墳は公園として整備されたら、某沼津ご当地アニメで紹介されるかな?そうなったら、アニオタで最も有名な古墳になりそう。周辺は住宅地だから、観光目的で行くと激しく浮くけれど。
高尾山古墳、あそこまで行き詰っていたのに、よく保存という結論にたどり着きましたね。少し前に行きましたが、かなり渋滞気味で、道路を何とかしてほしいという立場の人たちの思いもわかる気がしました。ですので、なおさら保存という結論にたどり着いたことは、本当に凄いと思います。うまく活用されるようになるといいですね。
The destruction of historical and cultural heritage is distressing.
I hope that the remaining cultural properties will not be destroyed anymore and will be utilized in the future.
@@koukogaku 👍
小さな古墳だと個人所有のが多数あり住宅ちとして開発されたのが多数あります、知っている場所は1ヵ所あるが住民は知らないのだろう、又別で石棺が有るのは知っていたが報告すると面倒なので放置していたら道路拡張で出て来た、考古学研究所が持って帰って50年ほど月日がたち返還確認が来たのだが返還されても邪魔なので寄付に切り替えた。
地域の方々の理解を得られないと、保存していくのは難しいですね。
今日は後円部だけ残っただけでも良かったです。
人間感ですね〜 造るのも人間 壊すのも人間 過去は戻らないですが、次世代にはプライスレスを学んで欲しいものですね〜
本当にそう思います。
赤面山古墳や鍋塚古墳も面白いですよ。
ご教示ありがとうございます。名前ではわかりませんでしたが、検索したら行ってました(笑)。また取り上げられればと思います。ありがとうございます。
現代では古墳の上に神社が祀られている事が多いですがお墓の上に神社って不思議
多分見晴らしがいいからではないでしょうか。古墳の上が墓地になっている古墳も結構あるのが面白いというか、古墳だとわかっていて作るのか、興味深いです。
神仏分離されたのは明治時代ですから、江戸までは神社と寺院の認識は、今とは大きく違うと思いますよ。
1300年前から工事すると古墳が出るのは奈良のお家芸だったのか😂
墓終いだと思えばいいんだよ
まぁ、天皇家と違って多くの豪族墓は子孫が認知出来ないし無縁仏と言っても過言じゃないですしね…
バックミュージックがおしゃれ
破壊された古墳から人骨が発掘されたりしないものかしら。それでDNAなんか抽出できないかしら。
ご視聴ありがとうございます。調査で人骨が出ることは、まれにあると思いますが、現在の化学分析で、どこまでできるようになっているのかわかりません。少しでも多くの情報を引き出して、当時の状況が明らかになるといいですね。
後の方に紹介されていた道路工事の業者は古墳を破壊からの保存に変更後は大変だったろうな、、図面やら施工要領やらの書類作成に加えて、困難な施工までやるんだからきつかったやろなあ、、、多分、市から追加の金額は取ったんだろうけど、お疲れ様でした。
古墳を破壊するにあたり、時代と共に 致し方ない場合もあるでしょう。しかし、その時の時代に関わる人が、利権だけで歴史を無いものとして抹消して欲しくないですね。せめて、その古墳に居られる霊魂を慰める為の行事や祭ごとをつくって、代々、後世に受け継ぐわけにはならないのでしょうか。
ローマでも同じ
古墳の破壊されたところを発掘したら何か国宝級のお宝や歴史を塗り替えるような発見は見つからないだろうか…
みなさんお宝が好きですね(笑)! お宝はともかく、小山田(こやまだ)遺跡は歴史を塗り替えるような発見と言えるのではないでしょうか?
大阪の柏原市にある勝松山公園周囲に、古墳の跡が見える。南方向に3つある。Googleで見ると分り易い。形あるものは壊れるとは言うけれど、発見したら調査くらいはして欲しいものだ。あと、古墳の跡地には神社が建ってる事が殆ど。
うちの中学では古墳(の半分?)を破壊してテニスコート作ってた校長たちの地鎮祭的なものに付き合わされたな
昔のことですよね(;^_^A? 今やったら新聞に載りそうな気がします。
@@koukogaku 50年ぐらい前かと!定期的に地鎮祭?やっていてテニス部だったので参加させられました。そのせいか学校の敷地内から人骨出てきました。
大阪城の下にも古墳が眠ってるらしいです
そうなんですね。また情報がありましたらご教示ください。
古墳潰して住宅って。そこに住むのはイヤやわ。国が最初からしっかり管理しないからやわ。昔なら宮内庁か。よく祟りみたいのが起こらなかったのが、不思議。どこかでは古墳開発途中で、いろいろ起こったのか保存されて公園?になってました。確か心霊スポットになってたような。
たまたま古墳を紹介しましたが、こうした例は他の時代でもたくさんありますよ。例えば縄文時代の集団墓地の上に市営住宅が建っていて、調査したら玄関わきから完全な人骨が出てきたり、家の建て替えで発掘調査したら中世の焼き場が出てきたり。だからといって住んでいた人がどうこうという話も聞きませんね。
古墳跡の住宅とかそれこそ心霊物件にならないのかしら。
過去より今の考えの人が多いんじゃないの、考古学的には貴重でも今を生きる人にとっては邪魔者扱いじゃないのかな、わたしは古墳は必要だと思う。
開発側に立つ人たちからは目障りな存在に見えるでしょうね。貴方のような考えを持つ人が増えていくことを願ってます。
全部残してたら何も建てられなくなるからな自治体なり国なりが買い取ってくれるわけじゃないのに調査が終わったら潰すよね
ナショナルトラスト運動というのがありますね。募金などで市民がお金を出し合って土地の所有者から買い取る。古墳を破壊から守るには良い方法だと思うのですが管理、保全は市民が行わなければいけないのでボランティアなどにお願いしなければならないのがつらいですね。行政が動いてくれて史跡公園などにしていただければ一番いいかと思います。行政が動くほど大きな声にしていけるかどうかが古墳を破壊から守るポイントじゃないでしょうか。
ご視聴ありがとうございます。保存に至るまでには、行政側にキーパーソンがいると思いますが、開発サイドからは、お前たちが考古学や遺跡が好きだから残したいって言ってるだけだろ・・・みたいに言われかねないので、やはり市民の方々のバックアップが必要ですよね。大きいと思います。
@@koukogaku 様 愛知県の東海市というところに南北約43m、東西約49mのカブト山古墳という円墳があったのですがわたしが中学生の頃に壊されまして。中学の歴史の先生などが役所に掛け合ったりしましたがどうにもならなかったようです。壊されたのは残念ですが、身近に体験できたのは良かったと思います。
@@金子宏二 素晴らしい先生ですね。なかなかできる事ではないと思います。結果的に保存できなかったとしても、貴重な経験が出来ましたね。
平城京はそこまでしてその場所でなければいけない大事な場所だったということか。
謎の古墳時代。自分の先祖の墓を壊すわけないので完全に統治者が違いますね。むしろ、墓ではなくピラミッドと同じ、再生のための儀礼場なのではないのかな。
百舌鳥大塚山古墳復元してくれないかな。
そうなれば素晴らしいですが、VRやARでというのが現実的ですかね。
いたすけの陪塚の方墳の破壊は極めて悪質だったのを指摘してほしかった。
ご教示ありがとうございます。不勉強にて存じ上げておらず、申し訳ありません。また調べてみますね。ありがとうございました。
@@koukogaku 胸が悪くなるほど悪質なので調べてみてください。いたすけの保存に成功されたため土建屋が工夫し、本体の保存運動でみなが一息ついてしまって陪塚の保存に燃え上がらなかったという点が指摘できます。
@@inayamakannushi ありがとうございます。調べてみますね。
現代の制作物は 絶対に古墳のように 残ることはないわな
いいものは残るのではないでしょうか。
敷地内に古墳あるわ
墓荒らし
いたすけ古墳よ言えば,狸が住む古墳として有名.youtubeにも動画がある.
タヌキは百舌鳥古墳群の周壕のあるものの大半にいるようです。いたすけ古墳は崩れ残った橋の袂などがタヌキにとっての格好の遊び場・休息場になっているようで、見学・撮影のチャンスに恵まれやすくなっているようですね。確かいたすけ古墳の樹木は一旦ずべて取り除かれていたかと(50年ほど前はほぼ野草だけになっていました)
戦後の宅地造成で消滅したというのは酷いですね…普通残して周囲を宅地にするだろうって思う。
古墳を破壊するのは、古墳の盛土を埋め立て用の土砂として使いたかったからだと思います。遠くまで取りにいかなくても近くにあるので、手っ取り早かったんでしょうね。だとしてもよくやろうとしたなとは思いますが。
コフィちゃん
とりま全部残しとこうや
高度成長期に墓を破壊した罰が今当たってるんですね
いつの時代も業者が郷土の歴史文化や景観を破壊しに来やがる。戦争で破壊された文化財や景観よりも業者が破壊したものの方が多いだろ、これ。
古墳w 一杯ありすぎてどーでもよくね? 一時期の権力者のお墓なだけだろうが。それより信長が生まれたと噂される城の跡地に家が建っているとかの方がショックだったわ。 どういう先祖が城土地を奪ったんだろうなw
私はたくさんあるからどうでもいいとは思いません。1つ1つに歴史があり、その積み重ねが地域の歴史を解き明かす資料だと思います。
我々の祖先が守り続けた古墳。見ていて美しいと思った。我が国は緑多く川も水にも恵まれ歴史にも恵まれてる。古代の歴史は財産だ。世界で最古級の土器が出土するとは思っていなかった。金銭や公共事業は理由にならないぞ。現代の我々も霊や魂を恐れるようでないといけないよ!
私たちが古墳を見られるのも、破壊を阻止した先人たち、そして関係者や地域住民の方々が今でも見守っておられるおかげなのですね。感謝!
どれくらいの古墳や遺跡が壊され、残っているのがどのくらいなんですかね? 今まで残ってきたことが当たり前ではなくて、とても幸運なのかもしれませんね。
すごく面白い。姫路城で古墳の石棺が石垣に使われててビックリしたけど、昔からあったことだったんだなぁ。
戦国時代の城はどこでも近くの寺の墓石は城の石垣に使われてる。人でも人柱として埋めてる。今でも守り手のない墓石は砕かれて道路の骨材に使われてる。坊主の寺の経営の為だとしてでもある。
古墳だけでなく、古い建物を壊すのは止まらないですね。
本当に残念で仕方ない。
新しいものはいつでも作れる。
歴史は戻せない。
鳥瞰図でとてもわかりやすかったです。勉強になりました。本当そうですよね…惜しいことです、高度成長期と戦国時代の城の石取り、中世の墓泥棒が主なんじゃないかなあと思います。松永久秀の頃も、ガンガン潰してて、日葉酢媛の御陵を潰そうとしたら、配下が地元民に訊いてきて「古代の皇后の墓だそうです」さすがにちょっとヤバいと思ったらしく、破壊をやめた、なんて伝承もあります。発掘の方によると、椿井大塚山古墳も、工事の時にすごい数の鏡が出てきましたが、文化財保護の概念がなく、工事の人がみんなで記念に持って帰ってしまい、あとで警察が回収に回ったそうです。33面は回収できた数で、本当はもっとあったそうです。古物商に流れたらわかんないんですよね。母は桜井育ちですが、あちこちに群集墳があったのを覚えているそうで、直刀も見たそうです。家がどんどん建つときにあっと言う間に壊されて行ったそうです。今でも、京都市内の碁盤の目も、もはや地層になって遺物が出るので、ビルの建て替えとかで何か出て来たら調査で工事が遅れるからと重機でガンガン壊すようで、情けない限りです。失われたら二度と戻らないだけに、本当胃が痛くなりますよね…。
いつもご視聴ありがとうございます。昔を知らずに訪ねると、よく保存されていると思ってしまいますが、桜井市でも破壊された古墳があるのですね。勉強になりました。
工事のときに出てきた場合、業者らへの補填ってどうなってるんだろうか…
@@matukawatositane 基本的には、遺跡のある場所は遺跡地図という形で閲覧可能な状態になっていますので、開発事業者は、事前に確認しているはずです。このため、必要であれば工事着手前までに発掘調査が完了している事が一般的です。ただ、まれに工事中に出てきてしまうことはあると思います。事業者が行政の場合は、加茂岩倉遺跡のように工事を中断して調査を行うこともあると思いますが、費用は公費で賄われると思いますので、工事を請け負った業者への補填はないのではないでしょうか。工期が変更になることによる作業日程の見直しをどこまで補償しているのかはわかりません。民間の事業者の場合は、工期の遅れ、費用負担の増加の両方がのしかかってくるので、そのまま工事をしてしまう事もあるのではないでしょうか。その場合は勿論補償はないでしょうね。
@@koukogaku 土建屋からすると生きてかなきゃならない辛さがありそうですね
@@matukawatositane 頻繁にあれば大変ですが、基本的には工事が始まってから遺跡にあたってしまうことは、ほとんどないのではないでしょうか。予め開発業者(土建屋ではなく、開発主体、例えば鉄道会社・不動産業者等)が文化財保護部局に開発場所が遺跡のあるところかどうかを照会し、遺跡がある場所であれば、行政側でその場所に本当に遺跡が出てくるかどうかを試掘して確認します。本当に出てくれば発掘調査を行い、調査終了後に工事という段取りですが、原則工事着手の60日前までに届け出なければならいなので、やろうと思ったらストップがかかるという事は少ないと思います。土建屋さんというのは、この工事の時に関わってくる人達という事ですよね? 費用負担は開発業者が負担しますので、土建屋さんが負担することはないと思います。土建屋さん自らが開発業者であれば別ですが。
馬見丘陵の地元民ですが、ナガレ山が保全された一方で、公園を二つに分ける道路がある帆立貝型古墳を真っ二つに割ってしまってるんですよね
古墳があった部分の道路には緑の塗装がされ、古墳自体が完全に破壊されたわけじゃなく残った前方と後円の間は橋がかけられています
割と重要な道路の造成だったので、そこに行くとせめてもの弔いが感じられて不思議な感じがします
ご教示ありがとうございます。ナガレ山古墳のように復元され古墳もあれば、同じ馬見古墳群の中でもそうした古墳があるのですね。
@@koukogaku
僕も同じく馬見丘陵の地元民です。
あの地域は普通の児童公園の中に小さな古墳があったりするような地域なのでそういうのはよくあります。
普通に遊んでる丘が古墳で調査のために立入禁止とかありました。
宅地開発されましたが、未開発の雑木林も残ってるので、まだ見つかってない古墳も沢山あると思いますよ。
こんなにたくさんの古墳が壊されていたのも驚きですが、それ以上に日本全国にこんなにもたくさんの古墳が造られていたということも驚きです。大王や王族はもちろん地方豪族やその身内(さらにはその下の小豪族やその身内)まで1人死ぬ(というか生まれる)度に1つ古墳を造っていてそれが何百年にも渡って続けられていたから、ということか。世はまさに大古墳時代。。
まさに古墳時代という名前にふさわしいですね。横穴式石室は、追葬が可能ですので、何体か合葬されているようです。それにしても凄い数ですね。
@@koukogaku 返信ありがとうございます。現在残っている古墳が約16万基もあるのですか。仮に半分壊されて半分残っているとしたら造られた古墳は約30万基、300年続いたとして1年あたり1000基造られたということでになりますね。そして毎年1000人の高い地位の人が亡くなってることになりますね。クニの王の古墳だけ造られたわけではなく、妃、子供2人の古墳も造られたとしたら当時日本には250のクニがあったことになりますね。さらに当時の日本の人口が500万人だったとしたら、平均して1つのクニの人口は2万人ぐらいでしょうか。あ、でもこれだと毎年王族の人が亡くなることになるのでおかしいかな。。
@@鵯-q3x多分古墳の90%以上、あるいはそれ以上が古墳時代後期、6世紀以降に作られたんじゃないでしょうか。クニの王だけではなく、もう少し下のクラスの人物まで作る時代だったのではないですかね? でもこうして色々と考えるのは、何か楽しそうですね(笑)。
破壊されたという規模ではないのでしょうが、大仙陵古墳も室町時代末期には三好氏による築城(国見城)が行われ、その後は神社も建てられていたそうなので、少なからず改変を受けているでしょうね。
ご教示ありがとうございます。そうなんですね。勉強になりました。
破壊というより移設や再利用という言葉の方が合う場所も多いですね
コメントありがとうございます。移設した古墳も多いのですかね? もしよろしければご教示ください。
卑弥呼の古墳も戦乱期に築城のために壊されて現存してないのかもね。
近所の歴史を調べるのが好きで、調査記録を読んでいたら、石棺群を含めると100基近くあったものが今では片手で数えられる程に激減していてショックでした。
残されたもので、とても美しい内部構造を持つものがあるので、将来、個人的に保護していくのが夢です。
素晴らしいお考えですね。でも個人で守るという事は並大抵ではないと思いますので、仲間を増やしてみんなでやっていかれたらどうでしょうか。行政も巻き込んで地域で守っていけるようになるといいですね。
最初の協会名に全部持って行かれたw
それは置いておいて、子供の頃北関東の古墳巡りをしていたのですが、今思えば、残っている古墳はどれも、頂上に小さなお社が建ってました。
お社が建つと、人が手出ししなくて残り易かったのかもしれないですね。
そうですね。神社になったことで、結果的に守られていることはあるでしょうね。
今は公園だけど昔は近鉄グループの玉手山遊園地🎠🎡🎢だった大阪の玉手山第7古墳とか円山古墳とか散歩するのに良い場所ですね。
情報ありがとうございます。そうなんですね。大阪のような大都市で開発と遺跡の保存とを両立させるのは本当に難しかったでしょうね。せめていま残されている古墳や遺跡が将来に伝えられていくといいですね。
とても勉強になります、ありがとうございます。しかし、市庭古墳はコナベ古墳のような立派な古墳だったのですね。森浩一先生の本で読みましたが、飛鳥から平安の古代にも宮殿や寺院の築造で古墳が破壊されたケースは多かったらしいですが、それでもこんなに残っていますもんね。古墳は日本特有の墓なので、現代の宅地開発などの被害を受けることなく、大切にされるべきです。
ご視聴ありがとうございます。市庭古墳の話はあまり知られていないという事ですかね? 結構有名な話だと思っていました。大和は本当に凄いですね。いつ行っても感動します。都が京都に移ったことが、都市化の進行を止め、それが結果的に文化財の保存にはプラスに働いたんでしょうか? 今までの幾多の苦難を乗り越えて残ってきたものだと思いますので、古墳に限らず、重要な遺跡は、整備までとは言わなくても、できる限り後世に残していってほしいですね。残っていさえすれば、将来条件が整えば整備される可能性もありますので。
参考になりました。
最後の古墳は、地元なので、
見守って行きたいです
高尾山古墳の地元なんですね? 本当に良かったですね。高尾山古墳が保存されたことは、奇跡的だと思います。保存に至るまでに、キーパーソンがいると思うのですが、そこまでやる時間がなく、中途半端に出してしまいました。何かご存じならまたご教示ください。
@@koukogaku さん
学の無い私は、何の知識も有りません。
凄い方のお墓らしいですね。
子供の頃から好きで、あちらこちら自転車で走り回っていただけです。
最近動画を見始めて寝る前に見てます!
昔から歴史が好きで、大学では日本史を専攻していました。一番好きな時代が古代史です。(専攻は近現代でしたが)
リクエストですが、東北や南九州などのヤマトから見て辺境の民が住んでいた地方の古墳を見てみたいです!
また記紀に出てくる奈良県南部に興味深い古墳はありますか?もしあればいつか紹介して欲しいです。
ご視聴ありがとうございます。東北や九州もできれば行ってみたいですが、遠くてなかなか行けないですね。室宮山古墳などはどうですか?
近所(尾張平野)には寺の中に、寺の庭園の一部となって、庭の小山のようになっている古墳があります。庭を見に行って、初めて古墳があると知りました。市指定文化財として保存されてます。尾張では平野のせいか、神社や寺に取り込まれている例が多いです。山がちな地域だと破壊されがちでしょうね。
古墳の上に神社がのっているのはたまに見かけますが、そんな形で残っているなんて、珍しいですね。どんな形でもいいので、残っていくといいですね。
紹介いただきありがとうございます。もっとよく知っていつか古墳を訪れたいです。
3:49 豊橋市民ですが、この古墳の存在と、吉田城の石材のエピソードを初めて知りました……。
あくまでも伝承で、吉田城の石垣に使われたことが確認されたわけではないようです。
豊橋市民でございます。郵便局員として走り回っていたところです。馬越長火塚古墳は知っていましたが、この古墳は知りませんでした。このあたりは古墳がめちゃ多く、北西側が開けた小山があり、古代の人は城、烽火場所としても活用していたようです。ああ、懐かしい、いつも時間をあせっていた記憶があります。いま67才、乃木坂46大好きGGでございます。
空から見れば墓なんだろうけど
地面から見ればただの丘だからな
邪馬台国の痕跡も破壊されて残ってないのかもね
古墳の土てもともと盛土したものだから建築的には良質の土なんだろうね
最近、明石市で道路新設工事による発掘調査で古墳周溝2基が発見されました。発掘現場は江戸時代に新田開発がされた地域。その時に古墳と分かって破壊されてしまったのか、分からず破壊してしまったのかは分かりませんが、今後は道路建設で埋め戻されてしまうようですが、また新しい情報が出てくることに期待したい。
情報ありがとうございます。新田開発に伴う破壊だったんですかね? また参考にさせていただきます。
佐賀の吉野ヶ里遺跡の北側に高速道路(東脊振~佐賀大和)を作ってる途中で古墳の跡や大量の銅鏡なんかが出土してたんだけど
知らん顔して埋め戻してから道路作れという上からの命令でしかたなく道路ひいたと・・・
完成後数年後に工事の孫請けで作業員してた親戚の方々や同級生のオヤジさんたちから聞いたよ
円墳と前方後円墳が合計7つくらいあったのを壊して埋めたらしい
えええ…7つも。。すごく残念な話ですね。そういう古墳破壊はなんだかせつなくなります
大阪の高槻に昼神車塚古墳が有るけど古墳を道路がトンネルで貫いてるみたいですね。(´・ω・`)
ご教示ありがとうございます。こういう例もあるんですね!
とても面白かったです。
チャンネル登録させていただきます。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
小学校の時、いたすけ古墳は、よく遊びに行きましたが
いたすけ古墳は、おたすけ古墳だったのですね!
明治~昭和初期にかけては建設工事の材料として「そのへんにあるちょうどいい小山」として土取りで削られて消滅した古墳はたくさんありますね。阪急神戸線が福知山線を乗り越えてる築堤もそうやって近所の古墳を全部削って土取りしてできているのは有名ですね。
返信が遅くなり申し訳ありません。そうなんですね。知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。
無知で申し訳ないが、古墳まわりにどうやって水を引いたんだろう。理由も知りたい
私も絶対の自信はありませんが、前期の前方後円墳や終末期の群集墳のように、山上や山麓に作られる古墳は周濠があっても水はないですが、沖積地に作られた古墳は、盛土を確保することと、区画をするのに、周濠を掘ってかき集めるのが手っ取り早かったのではないでしょうか。掘削面よりも地下水位が高ければ、自然に水が湧いてきたのではないかと思います。
@@koukogaku 今更ですが返信ありがとうございます!
地元では道路沿いに古墳があってドライブしてたら気付かない。すぐ隣に田んぼと民家が有るからだと思う。
縄文時代の遺骸とかは、博物館で埋葬方法や埋葬品について展示されているが、保存、整備、公開された古墳等に埋葬された遺骸は、どこにいく?いる?のだろうか?埋葬品とかは、目に見ることができるが、中々遺骸ついて知る機会がない。たまに、出版物の調査書?の発掘の写真で極僅かに写ってる時があるが白黒で詳細に見ることができず、主の被写体として遺骸か写された物がない。
もし、ご存知でしたら、遺骸の状態と発見後の処遇(保存なのか破棄。破棄なら処分方法も)を教えてください!
古墳人骨はそもそも出土事例が少なくて、私も報告書での掲載については知りませんが、縄文人骨は出土例も多く、発掘調査報告書に、出土状況も人骨の写真も結構掲載されていると思いますよ。また、発掘後は必ず温湿度管理された収蔵庫で保管しているはずです。廃棄などは絶対にしていないと思います。
@@koukogaku
ありがとうございます!
長年の悩み事が消えました。
私の住む河岸段丘には、古墳が南北に群を成して遺っていて遺構はあっても、埋葬者のことが分からず、郷土資料だけ見てました。しっかりと発掘調査報告書とも見比べていきたいです!
遺骸が遺って保管されてる可能性を胸に連絡してみようかなと、思います!
ありがとうございました!
これからも、宜しくお願いします
@@WH8506N こちらこそよろしくお願いします。何かわかるといいですね。
高松塚古墳は壁画保存のため
石室を解体し復元整備していますが
墳丘の近くに祠のようなものを作って
その中に遺骨を納めているそうです
後は発掘を担当した研究所や
所属する博物館の収蔵庫にあると思います
遺骨の展示はされないですね
エジプトのピラミッドも破壊されていますよね。
(破壊されたので有名なのがアブ・ロアシュにあるジェドエフラーのピラミッド)
王墓を暴いて破壊するのはどこの国でも同じって事なんでしょうね。
ピラミッドなどは、破壊というよりも、基本お宝目当の盗掘だと思っていましたが、ジェドエフラーのピラミッドはローマ軍によって破壊されたんですね。ありがとうございます。勉強になりました。
@@koukogaku
古代エジプトのマスタバ墳墓やピラミッド、王家の谷はいずれも完成直後に盗掘された可能性が高いそうです。
ジェドエフラーのピラミッドも恐らく完成直後(遅くとも完成から数十年以内)には盗掘されていたでしょう。
破壊したのはローマ軍でしょうが、破壊した時には既にもぬけの殻だったと思われます。
日本の古墳も古代エジプトの王墓のように盗掘されているのか気になる所ですね。
いいね!歴史ロマン
過去をとるか現在をとるかの問題。でも、よくよく考えると現在の人間は入植してきたモノだしね。
古墳にコーフン協会!覚えやすい名前だ
気になってる古墳群があります。和歌山にある岩橋千塚古墳群というところですが、私の母方の先祖が和歌山市辺の地主の家系だったらしく昔からあの辺りにいたみたいで、私の高祖父もそこで若い頃に住んでいたみたいです。
もしかしたらあの古墳には遠い先祖が埋葬されてるんじゃないかという話があって気になって調べても紀氏の墓ではないかとの情報しかなく詳しいことがこちらではわからないです。
残念ながら、古墳の被葬者が明らかなのは、ほんのごく一握りですので、仕方ないですね。
近所でもありますが、ただの家になったと云う、酷いです。
わたしも古墳大好きです。わたしは、宮地嶽神社奥之院の古墳が大好きで、デジャヴすら感じました。どうやら、こだわりが強い人が、居たのでしょうか?
古墳は大事ですよ!
近鉄大阪線の柏原市あたりにある、線路下にある古墳?は知らなかったことで工事したのかな🤔
柏原出身やけど初耳ですね。どの辺ですか?
同じく柏原出身ですが初耳です。どこなんだろ?気になる……
現在では古墳や遺跡の調査時期が「建設工事開始後」であるのが問題。むしろ、「発掘調査を終え、その遺跡の価値や活用方法を考慮しながら、都市計画の素案をまとめるようにする」のが良い。
もちろん「行政の意識改革」を促すことで、古墳や遺跡という歴史的資源という「今、そこにある宝」の価値に理解を示し、古墳や遺跡のための「予算の捻出」に積極的になるよう促すことが大事。
高度経済成長期型の都市計画など早々に終了させ、地域の歴史的価値を活かす都市計画「仮称:温故知新型都市計画」を推進するべき
返信が遅くなり申し訳ありません。少し誤解があるようです。発掘調査は、原則工事開始前に終了するように、事前に手続き・調整が行われています。特に高速道路等のような大規模な開発などは、かなり前から開発側と文化財側とで調整が行われています。民間の開発についても基本的には同じですので、原則的には工事着工前までに発掘調査は終わっているはずです。ただし、開発側が計画を事前に相談しない、もしくは直前に相談する場合や、意図的に相談しないという場合、調査体制に対して対応しきれないほどの開発案件がある場合、また発掘調査で予想以上に大量の遺構や遺物が見つかった場合などはその限りではありません。以前に比べてコンプライアンスが厳しくなってきていますので、全くないとは言いませんが、文化財を無視して工事を強行するといったことは出来にくくなってきていると思います。ただ、おっしゃられるような、地域の歴史的価値を活かす都市計画「仮称:温故知新型都市計画」については、是非推進してほしいと思いますね。今後ともよろしくお願いいたします。
@@koukogaku 詳細なご説明、ありがとうございます。拝読し改めて思いますが、現状は私が求める「主体的で積極的な遺跡調査&保存活動」からは明らかに程遠いと感じました。
私の提案は、勿論「保存すれば良い」等という単細胞的な話では無く、個々の遺跡の価値は当然のように吟味する必要がありますし、また、私の提案を実行に移すには、行政側などからの予算拡大が求められる内容ですが、価値ある遺跡を最大限活用するきっかけを作るには良い方法ではないかと自負しています。
@@koukogaku ご説明ありがとうございます。
誤解があるようですが、改めて説明すると、私の主張は「都市計画の素案を作成する前(土地活用方法を決定する前)に、簡易的事前調査を行う」です。この簡易的事前調査には「トレンチ調査」や「水道管工事などの隙間活用」などです。
土地は全国均一ではなく、土地によっては「・・氏の発祥地」や「・・天皇宮伝承地」など「遺跡が埋まっている可能性が高い場所」があれば、逆に遺跡が埋まっている可能性が低い地域もあります。
そこで、「遺跡が埋まっている可能性が高い場所」を中心に、都市計画素案を作成する前や土地活用方法を決める前に、トレンチ調査など簡易的事前調査を行い、その事前調査の結果を踏まえたうえで、発見された場合は本格的な調査を行い、その発見された遺跡の価値に基づき、(新たに史跡公園を追加するなどした)都市計画の素案をまとめたり、土地活用法を検討したほうが良い…と主張しています。
また「仁徳天皇高津宮伝承地」などは、周辺で水道工事などが行われるついでに、調査してしまうことも挙げられます。これについては京都市の例が参考になるでしょう。
もちろん、様々な課題がありますが、より主体的で積極的な遺跡調査や保存活動が求められていると考えています。
@@hideanazawa2155 おっしゃる通りですね。現在の体制は決して理想の体制ではなく、昭和30年代の開発優先の風潮の中で、それに待ったをかけるために編み出された対処療法的なものが原型となっており、それは発掘調査をやらずに破壊されるよりはマシといったものだったと思います。とは言え、そうした風潮に逆らって、この体制を作った方々の努力もまた敬意を払うべきものだと思います。当時と比べれば意識の上でも随分変わってきたとはいえ、実際にそうした方向に向かっていくには、行政の予算はもちろんですが、やはり国民の意識・理解・後押しが必要不可欠だと感じます。現在行政で努力されておられる皆さんや、hedeanazawa様のような意識をもつ人々が少しでも増えて、主体的で積極的な遺跡調査&保存活動に少しでも近づけるといいですね。
最後に出てきた纏向・大和シーンは高度経済成長期に国道(旧県道)のバイパス工事で壊された天神山古墳が映っていましたね
地元の信仰する神社があり石室のある円墳の方を破壊したため工事関係者は一人残らず祟られたといいます(地元伝)
返信が遅れて申し訳ありません。ご教示ありがとうございます。あれだけの副葬品が埋納されていた古墳なのに、どこか知らずにおりまして、恥ずかしながら場所を初めて知りました。前は何度も通っているんですが。今度奈良に行った時に寄ってみます。ありがとうございました。
福岡市出身ですが、江戸時代の初めに播磨の大名、黒田長政(官兵衛の息子)が福岡入りして城を築く際にも、福岡平野の古墳を破壊して石垣の材料にしたと聞いたことがあります。
そうなんですね。ご教示ありがとうございます。
近現代では、明治政府の国家神道がした事です
高尾山古墳は公園として整備されたら、某沼津ご当地アニメで紹介されるかな?そうなったら、アニオタで最も有名な古墳になりそう。周辺は住宅地だから、観光目的で行くと激しく浮くけれど。
高尾山古墳、あそこまで行き詰っていたのに、よく保存という結論にたどり着きましたね。少し前に行きましたが、かなり渋滞気味で、道路を何とかしてほしいという立場の人たちの思いもわかる気がしました。ですので、なおさら保存という結論にたどり着いたことは、本当に凄いと思います。うまく活用されるようになるといいですね。
The destruction of historical and cultural heritage is distressing.
I hope that the remaining cultural properties will not be destroyed anymore and will be utilized in the future.
@@koukogaku 👍
小さな古墳だと個人所有のが多数あり住宅ちとして開発されたのが多数あります、知っている場所は1ヵ所あるが住民は知らないのだろう、又別で石棺が有るのは知っていたが報告すると面倒なので放置していたら道路拡張で出て来た、考古学研究所が持って帰って50年ほど月日がたち返還確認が来たのだが返還されても邪魔なので寄付に切り替えた。
地域の方々の理解を得られないと、保存していくのは難しいですね。
今日は後円部だけ残っただけでも良かったです。
人間感ですね〜 造るのも人間 壊すのも人間 過去は戻らないですが、次世代にはプライスレスを学んで欲しいものですね〜
本当にそう思います。
赤面山古墳や鍋塚古墳も面白いですよ。
ご教示ありがとうございます。名前ではわかりませんでしたが、検索したら行ってました(笑)。また取り上げられればと思います。ありがとうございます。
現代では古墳の上に神社が祀られている事が多いですがお墓の上に神社って不思議
多分見晴らしがいいからではないでしょうか。古墳の上が墓地になっている古墳も結構あるのが面白いというか、古墳だとわかっていて作るのか、興味深いです。
神仏分離されたのは明治時代ですから、江戸までは神社と寺院の認識は、今とは大きく違うと思いますよ。
1300年前から工事すると古墳が出るのは奈良のお家芸だったのか😂
墓終いだと思えばいいんだよ
まぁ、天皇家と違って多くの豪族墓は子孫が認知出来ないし無縁仏と言っても過言じゃないですしね…
バックミュージックがおしゃれ
破壊された古墳から人骨が発掘されたりしないものかしら。それでDNAなんか抽出できないかしら。
ご視聴ありがとうございます。調査で人骨が出ることは、まれにあると思いますが、現在の化学分析で、どこまでできるようになっているのかわかりません。少しでも多くの情報を引き出して、当時の状況が明らかになるといいですね。
後の方に紹介されていた道路工事の業者は古墳を破壊からの保存に変更後は大変だったろうな、、
図面やら施工要領やらの書類作成に加えて、困難な施工までやるんだからきつかったやろなあ、、、
多分、市から追加の金額は取ったんだろうけど、お疲れ様でした。
古墳を破壊するにあたり、時代と共に
致し方ない場合もあるでしょう。
しかし、その時の時代に関わる人が、利権だけで歴史を無いものとして抹消して欲しくないですね。
せめて、その古墳に居られる霊魂を慰める為の
行事や祭ごとをつくって、代々、後世に受け継ぐわけにはならないのでしょうか。
ローマでも同じ
古墳の破壊されたところを発掘したら何か国宝級のお宝や歴史を塗り替えるような発見は見つからないだろうか…
みなさんお宝が好きですね(笑)! お宝はともかく、小山田(こやまだ)遺跡は歴史を塗り替えるような発見と言えるのではないでしょうか?
大阪の柏原市にある勝松山公園周囲に、古墳の跡が見える。南方向に3つある。
Googleで見ると分り易い。
形あるものは壊れるとは言うけれど、発見したら調査くらいはして欲しいものだ。
あと、古墳の跡地には神社が建ってる事が殆ど。
うちの中学では古墳(の半分?)を破壊してテニスコート作ってた
校長たちの地鎮祭的なものに付き合わされたな
昔のことですよね(;^_^A? 今やったら新聞に載りそうな気がします。
@@koukogaku
50年ぐらい前かと!定期的に地鎮祭?やっていてテニス部だったので参加させられました。
そのせいか学校の敷地内から人骨出てきました。
大阪城の下にも古墳が眠ってるらしいです
そうなんですね。また情報がありましたらご教示ください。
古墳潰して住宅って。そこに住むのはイヤやわ。国が最初からしっかり管理しないからやわ。昔なら宮内庁か。よく祟りみたいのが起こらなかったのが、不思議。どこかでは古墳開発途中で、いろいろ起こったのか保存されて公園?になってました。確か心霊スポットになってたような。
たまたま古墳を紹介しましたが、こうした例は他の時代でもたくさんありますよ。例えば縄文時代の集団墓地の上に市営住宅が建っていて、調査したら玄関わきから完全な人骨が出てきたり、家の建て替えで発掘調査したら中世の焼き場が出てきたり。だからといって住んでいた人がどうこうという話も聞きませんね。
古墳跡の住宅とかそれこそ心霊物件にならないのかしら。
過去より今の考えの人が多いんじゃないの、考古学的には貴重でも今を生きる人にとっては邪魔者扱いじゃないのかな、わたしは古墳は必要だと思う。
開発側に立つ人たちからは目障りな存在に見えるでしょうね。貴方のような考えを持つ人が増えていくことを願ってます。
全部残してたら何も建てられなくなるからな
自治体なり国なりが買い取ってくれるわけじゃないのに調査が終わったら潰すよね
ナショナルトラスト運動というのがありますね。募金などで市民がお金を出し合って土地の所有者から買い取る。古墳を破壊から守るには良い方法だと思うのですが管理、保全は市民が行わなければいけないのでボランティアなどにお願いしなければならないのがつらいですね。
行政が動いてくれて史跡公園などにしていただければ一番いいかと思います。行政が動くほど大きな声にしていけるかどうかが古墳を破壊から守るポイントじゃないでしょうか。
ご視聴ありがとうございます。保存に至るまでには、行政側にキーパーソンがいると思いますが、開発サイドからは、お前たちが考古学や遺跡が好きだから残したいって言ってるだけだろ・・・みたいに言われかねないので、やはり市民の方々のバックアップが必要ですよね。大きいと思います。
@@koukogaku 様 愛知県の東海市というところに南北約43m、東西約49mのカブト山古墳という円墳があったのですがわたしが中学生の頃に壊されまして。中学の歴史の先生などが役所に掛け合ったりしましたがどうにもならなかったようです。壊されたのは残念ですが、身近に体験できたのは良かったと思います。
@@金子宏二 素晴らしい先生ですね。なかなかできる事ではないと思います。結果的に保存できなかったとしても、貴重な経験が出来ましたね。
平城京はそこまでしてその場所でなければいけない大事な場所だったということか。
謎の古墳時代。自分の先祖の墓を壊すわけないので完全に統治者が違いますね。むしろ、墓ではなくピラミッドと同じ、再生のための儀礼場なのではないのかな。
百舌鳥大塚山古墳復元してくれないかな。
そうなれば素晴らしいですが、VRやARでというのが現実的ですかね。
いたすけの陪塚の方墳の破壊は極めて悪質だったのを指摘してほしかった。
ご教示ありがとうございます。不勉強にて存じ上げておらず、申し訳ありません。また調べてみますね。ありがとうございました。
@@koukogaku 胸が悪くなるほど悪質なので調べてみてください。いたすけの保存に成功されたため土建屋が工夫し、本体の保存運動でみなが一息ついてしまって陪塚の保存に燃え上がらなかったという点が指摘できます。
@@inayamakannushi ありがとうございます。調べてみますね。
現代の制作物は 絶対に古墳のように 残ることはないわな
いいものは残るのではないでしょうか。
敷地内に古墳あるわ
墓荒らし
いたすけ古墳よ言えば,狸が住む古墳として有名.youtubeにも動画がある.
タヌキは百舌鳥古墳群の周壕のあるものの大半にいるようです。
いたすけ古墳は崩れ残った橋の袂などがタヌキにとっての格好の遊び場・休息場になっているようで、見学・撮影のチャンスに恵まれやすくなっているようですね。
確かいたすけ古墳の樹木は一旦ずべて取り除かれていたかと(50年ほど前はほぼ野草だけになっていました)
戦後の宅地造成で消滅したというのは酷いですね…普通残して周囲を宅地にするだろうって思う。
古墳を破壊するのは、古墳の盛土を埋め立て用の土砂として使いたかったからだと思います。遠くまで取りにいかなくても近くにあるので、手っ取り早かったんでしょうね。だとしてもよくやろうとしたなとは思いますが。
コフィちゃん
とりま全部残しとこうや
高度成長期に墓を破壊した罰が今当たってるんですね
いつの時代も業者が郷土の歴史文化や景観を破壊しに来やがる。
戦争で破壊された文化財や景観よりも業者が破壊したものの方が多いだろ、これ。
古墳w 一杯ありすぎてどーでもよくね? 一時期の権力者のお墓なだけだろうが。
それより信長が生まれたと噂される城の跡地に家が建っているとかの方がショックだったわ。 どういう先祖が城土地を奪ったんだろうなw
私はたくさんあるからどうでもいいとは思いません。1つ1つに歴史があり、その積み重ねが地域の歴史を解き明かす資料だと思います。
我々の祖先が守り続けた古墳。見ていて美しいと思った。我が国は緑多く川も水にも恵まれ歴史にも恵まれてる。古代の歴史は財産だ。世界で最古級の土器が出土するとは思っていなかった。金銭や公共事業は理由にならないぞ。現代の我々も霊や魂を恐れるようでないといけないよ!